2023年シーズンから6年ぶりにJ1の舞台に戻ってきたアルビレックス新潟。
アルビレックス新潟を見事J1昇格に導いたのが、松橋力蔵監督です。
松橋力蔵監督自身初めてのトップチームの監督に就任して一年目での快挙となり、順調な軌跡をたどっているように思われますが、調べてみると苦労人である事がわかりました。
今回の記事では松橋力蔵監督の経歴や監督歴、戦術などを紹介しますので、ぜひ最後までご覧ください。
この記事でわかること
〇松橋力蔵監督の経歴
〇松橋力蔵監督のエピソード
〇松橋力蔵監督のフォーメーション、戦術について
この記事の信憑性は以下の内容です。
この記事の信憑性
〇小学生からサッカーをはじめ社会人リーグでもプレー
〇大学時代は指導者を目指し、地元クラブのコーチや教員免許を取得
〇現在は金融関係の企業に勤めています
松橋力蔵監督のプロフィール
#松橋力蔵 氏が2022シーズンの #アルビレックス新潟 の指揮を執ることが決定いたしましたので、お知らせいたします。
— アルビレックス新潟 (@albirex_pr) December 6, 2021
松橋監督‼️よろしくお願いします‼️https://t.co/iV7aieNqE1 #albirex
それではまず、松橋力蔵監督の基本情報としてプロフィールを紹介します。
名前 | 松橋力蔵(まつはし りきぞう) |
愛称 | リキさん |
生年月日 | 1968年8月22日(55歳) |
出身地 | 千葉県 |
身長/体重 | 173cm/65kg |
ポジション | MF |
肩書 | アルビレックス新潟監督 |
監督になった現在でも選手と一緒にランニングなどをしており、50歳を超えても衰え知らずの体力と見た目の若々しさが特徴的ですね。
松橋力蔵の家族は?結婚はしている?
松橋力蔵監督の家族や妻、結婚に関しての情報は出てきませんでしたが、シーズン後のインタビューで家族が会いに来てくれたエピソードを話していました。
そのため、千葉県出身の松橋力蔵監督は単身赴任で新潟に来ていて、妻や子どもがいるのかもしれませんね。
追加の情報がありましたら更新をします。
J1昇格で「男前」な監督の胴上げに名言も
サムネにも男前と記載しましたが、私の個人的な感想ではありませんよ。
それではなぜ男前と言われているのでしょうか。
J2最終節の町田戦でを勝利した際に松橋力蔵監督は珍しく興奮しており、キャプテンの堀米選手の「新潟最高」に合わせて「新潟超最高」と明言を生みました。
その際に興奮していた選手から「松橋力蔵男前」と叫ばれたのがきっかけです。
その後のセレモニーでも胴上げをされるなど、コーチ時代を含めて2年目のシーズンで選手から信頼を置かれているのがわかりますね。
松橋力蔵監督とお好み焼き?
松橋力蔵監督と言えばお好み焼きが有名ですね。
「松橋力蔵」と「お好み焼き」の関係は何だと思いますか?
実家がお好み焼き屋さんというわけではないですよ。
これは松橋力蔵監督がお好み焼き屋さんでおばちゃんからヘラで「触るな」と邪魔なことはしないようにと怒られたエピソードがあります。
#アルビレックス新潟 の #松橋力蔵監督 は昇格関連の質問に対し「昔、広島でお好み焼き屋に行った時、ヘラで上から押さえつけたら店のおばちゃんに〝触るな〟と怒られたことがあった。邪魔しないのが一番」。えー、選手を信頼しているから余計なことは言わない、という解釈でよろしいでしょうか? pic.twitter.com/Q46rv634rx
— スポニチ新潟支局 (@sponichi_ngt) September 17, 2022
このようなエピソードがあったからなのか、優勝後のインタビューでも以前はグダグダと話すコーチだったが、話しすぎないように意識をしていたと語っています。
下位クラブと対戦する際に、どこか気が緩んでいる雰囲気を感じていましたが、選手たちの近くに行きましたが、無言で意思を伝えていました。
余計なことや邪魔はしないという強い意志を感じますね。
松橋力蔵監督の現役時代
ここまで松橋力蔵監督のプロフィールやエピソードを紹介しましたが、現役時代についても紹介します。
現役時代
〇千葉県立市原緑高等学校(1984-1986)
〇日産自動車サッカー部ファーム(1988)
〇日産自動車サッカー部(1989-1992)
〇横浜マリノス(1992-1995)
〇京都パープルサンガ(1996-1997)
〇ジヤトコサッカー部(1998-2001)
今でこそ、千葉県代表として市原緑を聞くことは少なくなりました。
しかし、松橋力蔵監督が入学した当時は本田裕一郎監督(現:流通経済大柏高校)が指揮をしており、高校総体に出場もしています。
また卒業生には宮沢ミッシェル(1981年卒)や聖和学園監督の加見成司(1991年卒)など有名な選手や指導者を輩出することになります。
アマチュア時代
小学2年生からサッカーを始めるとメキメキと実力をつけていき、名門である千葉県立市原緑高等学とへ進学し、名将本田裕一郎監督の指導を受けます。
高校卒業時点ではまだ、Jリーグはなかったため、卒業後はJSL(日本サッカーリーグ)に属する実業団の入団テストを受けますが、不合格となってしまいます。
JSLへの挑戦は叶わず、社会人として働くことになりましたが、プロへの夢をあきらめきれずにいました。
そんな想いを抱きながら、日産自動車サッカー部ファームのセレクションを受けると見事に合格。
会社員を辞めて、サッカーに専念しますが、ファームチームということもあり、アルバイトをしながらサッカーをする日々でした。
トップチームである日産自動車サッカー部(現:横浜Fマリノス)はのちに日本代表監督となる加茂周監督が指揮を執っていました。
この加茂周監督から声をかけてもらい見事、1989年シーズンから正式に日産自動車サッカー部の一員となることができました。
高校を卒業してから、3年目にしてようやく落ち着いてサッカーに専念できる環境が整ったと言えます。
マリノス、パープルサンガ
1993年には横浜マリノスの一員として、井原正巳や水沼貴史らとともJリーグの開幕を迎えます。
ここで松橋力蔵監督の夢であったプロになることができたのです。
横浜マリノスでは若手の台頭もあり、活躍するシーンは少なかったですが、京都サンガに移籍するとシーズン二桁出場や初得点など活躍を見せました。
ジヤトコ
Jリーグで通算5シーズン活動した松橋力蔵監督は活躍の場をJFLのジヤトコに移すと選手として3シーズン、コーチとして1シーズンチームに貢献しました。
実は、コーチとして臨んだ1年目のシーズンが終わったところでジヤトコサッカー部が解散となりました。
その際にジヤトコの社員として残る道も残されていましたが、指導者として生きていくことを選択します。
ジヤトコの社員として生きる安定よりも自身の夢に従ったのかもしれませんね。
松橋力蔵監督の監督歴・成績は?
選手としての活動が終わり、指導者として生きていくと決めた矢先に所属チームが解散する悲劇に見舞われた松橋力蔵監督。
その後、指導者として生きていくことを選択しますが、どのような経歴をたどったのでしょうか。
監督歴・指導歴
〇ジヤトコサッカー部 アシスタントコーチ(2002-2003)
〇横浜F・マリノス ジュニアユースU-13コーチ(2004-2005)
〇横浜F・マリノス ユース コーチ(2006-2007)
〇横浜F・マリノス トップチーム コーチ(2008)
〇横浜F・マリノス ユース 監督(2009-2014)
〇横浜F・マリノス ユース コーチ(2014)
〇横浜F・マリノス ユース 監督(2015-2016)
〇横浜F・マリノス トップチーム ヘッドコーチ(2017)
〇横浜F・マリノス トップチーム コーチ(2018-2020)
〇アルビレックス新潟 トップチーム コーチ(2021)
ユースチームのコーチ・監督を中心に指導歴は20年とベテランの域になりますね。
現在の獲得タイトル2022年のJ2優勝のみ(トップチーム)ですが、これからのタイトル獲得に期待したいですね。
横浜Fマリノスユース
ジヤトコのサッカー部が解散となり、古巣である横浜Fマリノスのユース世代のコーチに就任することとなりました。
その後、ユースチームのコーチやトップチームのコーチを経て、ユースチームの監督と徐々にステップアップしていきます。
また結果もしっかりと残しています。
2009年の高円宮杯、2010年のJユースカップ、2013、2015年のクラブユース選手権などユース世代の主要タイトルを獲得しました。
このことにより、次第に横浜Fマリノスの首脳陣からの評価を上げていきます。
横浜Fマリノストップチーム
ユースチームだけではなく、トップチームのコーチとしても活躍しています。
特にポステコグルー監督(現:セルティック監督)のもとで攻撃的なサッカーを学び、2019年のリーグ優勝に大きく貢献しました。
その後、トップチームのコーチを退任します。
アルビレックス新潟コーチ
横浜Fマリノスで攻撃的なサッカーを学んだうえで、アルビレックス新潟ではアルベル監督(現:FC東京)のもとでポゼッションサッカーを学びました。
その後、アルベル監督の後任として2022年シーズンからアルビレックス新潟の監督に就任しました。
アルベル監督のポゼッションサッカーを踏襲しながら、松橋力蔵監督のオリジナリティを加えて昇華させています。
偉大な外国人監督のもとでコーチをしたことが今のアルビレックス新潟に活かされていますね。
アルビレックス新潟監督
アルベル監督のもとで1年間コーチとして活動した後、2022年シーズンから監督に就任しました。
監督就任後、リーグ戦4試合未勝利と躓き、一時は解任や退任の噂も出ていましたが、その後は順調に勝ち星をとり、結果的にはJ2優勝を果たします。
コーチからの内部昇格とは言っても立場が変われば難しいところがあるのかもしれませんね。
フォーメーションや戦術は?
それでは松橋力蔵監督のフォーメーションや戦術などを紹介します。
フォーメーションは?
基本的には4-2-3-1をメインとし、使用頻度は少ないですが、相手が4バックだった際にハーフスペースをうまく使えるように4-1-2-3も使用します。
スペイン人監督であるアルベル監督のポゼッションサッカーを踏襲していることからもバランスが取りやすくかつ、中盤に人数をかけられるフォーメーションを採用していますね。
戦術は
前述したようにアルベル監督の目指したポゼッションサッカーを基本的なゲームプランとしています。
しかし、アルベル監督と全く同じ戦術ではなく、ポゼッションサッカーをしながらも縦へ早い攻撃が持ち味です。
また、守備には前線からハイプレスをかけるのではなく、しっかりとブロックを作り、リトリートしてからはめてボールを奪い返すスタイルになります。
松橋力蔵監督の評価は20/25点
それでは、デスラジおじさんなりの評価をしていきます。
ポイント
〇戦術:ポステコグルー監督の攻撃な戦術やアルベル監督のポゼッションサッカーを取り入れた戦術に注目
〇コミュ力:リキさんと呼ばれ、J2優勝時の姿から選手に愛されていることがわかる
〇采配:監督歴は長いが、トップチームやJ1での采配は無いため、まだまだ未知数
〇選手の成長:ユースチームの指導歴が長く、水沼宏太や天野純など有名選手を育てた
〇魅力:J1初挑戦、J2での成績が良かったことがあり、魅力は十分
松橋力蔵監督についてもっと知りたい方は本がおすすめ!
残念ながら松橋力蔵監督にまつわる本はまだ、出版されていませんでした。
ここまでこの記事を読んできた方に向けて、W杯でも有名になりました森保一監督が監修している本がありますので、ご紹介しておきます。
まとめ
今回の記事では松橋力蔵監督について紹介をしました。
トップチームの監督就任初年度からJ1昇格を果たすほどの実力と運を兼ね備えているだけに華々しい経歴を想像していたも多かったのではないでしょうか。
今回の記事で松橋力蔵監督が実は人一倍、苦労していたことが分かったのではないでしょうか。
そんな松橋力蔵監督の今後の活躍に期待したいですね。
アルビレックス新潟の前任監督であり、松橋力蔵監督に影響を与えたアルベル監督の記事もありますので、ぜひ読んでみてください。
参考URL
https://www.albirex.co.jp/news/61855/
https://news.yahoo.co.jp/articles/0481122437a0992ba51b6977ba9e27a5e21f7b88
https://www.f-marinos.com/maribito/matsuhashi_rikizo/#page-1
https://number.bunshun.jp/articles/-/855139
https://www.soccerdigestweb.com/news/detail2/id=119758