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【2023年版】川崎フロンターレの名将鬼木達監督は日本代表監督になるの?戦術や年俸、子どもなどのプライベートについても紹介します!

2017年から川崎フロンターレの監督として活躍している鬼木達監督。

就任から2021年シーズンまでJリーグで109勝/202試合と勝率は驚異の5割越えとまさに名将と呼ばれるにふさわしい監督です。

そのため、名監督としての印象が強いですが、実は13年間プロ選手として活躍していたのを知っていますか?

今回の記事では謎の多い鬼木達監督の現役時代や戦術、家族などについてまとめましたので、ぜひ最後までご覧ください。

今回の記事ではわかることは以下の内容です。

この記事でわかること

〇鬼木達監督の経歴について
〇鬼木達監督の戦術や好みの選手について
〇鬼木達監督のプライベートについて

この記事の信憑性は以下の内容です。

この記事の信憑性

〇小学生からサッカーをはじめ社会人リーグでもプレー
〇大学時代は指導者を目指し、地元クラブのコーチや教員免許を取得
〇現在は金融関係の企業に勤めています

鬼木達監督のプロフィール

まずは鬼木達監督の基本情報としてプロフィールを紹介します。

名前鬼木 達(おにき とおる)
愛称オニ
生年月日1974年4月20日(48歳)
出身地千葉県船橋市
身長・体重167cm/67kg
家族既婚(妻、二男)

見た目が若いので驚きましたが、実は鬼木達監督は2022年4月で48歳になります。

また、2003年に現在の奥さんである佐藤麗子さんと結婚し、現在は二児の父です。

名将鬼木達が日本代表監督!?

鬼木達監督と検索すると検索候補に日本代表監督と出てきます。

また、川崎フロンターレの監督としての活躍を見れば、次期日本代表監督にと期待するファンは多いのではないでしょうか。

しかし、2022年9月時点で鬼木達監督が次期日本代表監督になるという決定的なものはありません。

では、なぜこのような噂が出ているのでしょうか。

要因を考察してみました。

森保一監督との共通点

まずは現日本代表監督である森保一監督との共通点になります。

共通点

〇前任監督の戦術を踏襲
〇Jリーグで実績を残した日本人監督

前任監督の戦術を踏襲

森保一さんは2012年に前任であるペトロヴィッチ監督の跡を継ぎ、サンフレッチェ広島の監督に就任しました。

そして鬼木達監督も風間八宏監督の跡を継ぎ、2017年に川崎フロンターレの監督に就任しました。

どちらの監督にも共通しているのは明確な自己の戦術を持っており、チームにその戦術を浸透させているところです。

風間八宏監督は狭いスペースを利用した独自のパスサッカーを持っていますし、ペトロヴィッチ監督はミシャ式と呼ばれる戦術を持っています。

ペトロヴィッチ監督の戦術はこちらを参照。

つまり、就任した時には確固たる戦術を持って選手に対して自分の持っている戦術を教え込まなければいけません。

また、所属している選手も前任監督の戦術にあった選手が多いです。

そのような中で森保一監督も鬼木達監督も前任の戦術を踏襲させたうえで、自身の戦術を盛り込みました。

自分色の戦術を持ってチームへの浸透を目指す監督が多く、その結果、チームが混乱してしまうことが多いです。

短期間で戦術を確立しなければならない代表のシステムにはこのようなスタンスの監督があっていると考えられます。

Jリーグで実績を残した日本人監督

どちらの監督も4年以上の長期政権の中で複数のJリーグタイトルを獲得しています。

一時期、日本代表監督は外国人監督を多く採用していました。

しかし、近年のW杯の成績は日本人監督の方が好成績を残しています。

W杯の成績

〇岡田武史監督:ベスト16(2010年)
〇アルベルト・ザッケローニ監督:GL敗退(2014年)
〇西野朗監督:ベスト16(2018年)

2022年のカタールW杯で森保一監督が残す成績によっては日本人監督がこれからも続く可能性があります。

そうなると鬼木達監督が日本代表監督になるのも十分あり得ると思います。

川崎フロンターレでの在籍年数

次に2022年シーズンで監督就任6年目、コーチから通算すると15年目となります。

そして、監督に就任してからの6年間で5度のリーグ優勝を果たした名将として、次のステップに進むことを考えていても不思議ではありません。

11/5(土)に2023年シーズンも続投することが発表されました。

市立船橋高校出身!現役時代の成績は?

それでは鬼木達監督の経歴について紹介します。

先取まとめ

〇全国3位となった小学生時代
〇サッカーから離れた中学生時代
〇市立船橋高校で一年生からレギュラー組として活躍した高校時代
〇川崎フロンターレのJ1諸核に貢献した現役時代

小学生時代

鬼木達監督の通っていた船橋市立習志野台第二小学校で3年生からサッカーを始めました。

その後、小学校6年生の時に全国3位と好成績を残しています。

鬼木達監督本人も当時が一番うまかったんではないかと語っています。

1974年、千葉県船橋市に生まれた鬼木は、小学校3年でサッカーを始めた。「小学校時代が一番うまかったかなぁ」と鬼木は振り返る。

引用元:鬼木達スペシャルインタビュー

中学生時代

小学生の頃に全国3位となった鬼木達監督ですが、中学生になってから環境は一変します。

顧問の先生はサッカーを知らず、一年生は球拾い、おまけに鬼木達監督の同学年は11人いなかった。

全てではないにしてもいずれかは体験したことがあるのではないでしょうか。

まだ、中学生の鬼木達監督はこの環境に耐えられず、やる気をなくしてしまいました。

しかし、鬼木達監督は選手兼監督としてチームを引っ張っていくことにします。

この時に現在の監督しての片鱗を見せていたのかもしれませんね。

僕にとって最悪の環境だと思われたこの時期が僕自身に大きな成長を与えてくれた。選手としては周りに恥じないプレーを心がけ、監督という立場では毎日選手を観察した。決して強いチームではないチームをどうやって勝たせるか。どうやってチームを一つにするかなど、今まで考えもしなかったような事を本当に多く考えた。

引用元:川崎フロンターレオフィシャルウェブサイト

高校生時代

千葉県出身の鬼木達監督は千葉県の名門市立船橋高校に進学します。

入学当時の市立船橋高校にはお笑い芸人のワッキーさんがいました。

ワッキーさん曰く鬼木達監督は1年生にしてレギュラー組として練習をしていたようです。

厳しかった中学生時代に技術的な進歩をするのは難しかったと思いますが、名門高校で1年生から才能を見出されていたようです。

そして、鬼木達監督が3年生の時にはインターハイ準優勝と活躍をしましたが、選手権は県予選敗退となってしました。

引用元:川崎フロンターレ公式チャンネル – Kawasaki Frontale Official –

鹿島アントラーズ時代

市立船橋高校での活躍から1993年のJリーグ開幕年に鹿島アントラーズへ入団します。

当時の鹿島アントラーズは元ブラジル代表のジーコを要しファーストステージを優勝します。

当時の様子を以下のように振り返っています。

「高校3年の夏ぐらいに進路を決めるんだけど、まだプロになるにはどうしたらいいのかもよくわからなかったし、サッカーで大学に行けるのかと思っていたら、布先生から面談のときに『おまえ、勉強してねぇのに大学行けると思ってるのか』って言われて。鹿島のほかにも話はあったんだけど、そんなに強くなるとは思わず出られる可能性があるのは鹿島のほうじゃないかと思ってみたら…」

引用元:鬼木達スペシャルインタビュー

そのため、鬼木達監督は周りの選手から多くのことを学び成長します。

しかし、なかなか出場機会を得られない鬼木達監督は川崎フロンターレへ期限付き移籍をします。

川崎フロンターレ時代

1998年当時、川崎フロンターレはJFLに所属しているクラブでした。

※1999年からJ1・J2に分かれました。

JFLを2位と好成績を残した川崎フロンターレはアビスパ福岡とJ1昇格戦を戦うことになります。

結果的には延長Vゴールで敗れてしまいますが、シーズンを通じて出場をし続け、かつ重要な試合に出場する機会を得ることができました。

1999年にレンタル元の鹿島アントラーズに戻りますが、2000年に川崎フロンターレへ完全移籍を果たします。

2000年委一度はJ2へ降格させてしまいますが、J2を戦い抜き2004年にJ2を優勝し、再度、J1へ昇格します。

その後、2006年シーズンを最後に引退をしますが、川崎の宝と呼ばれるほどファンから愛されていた選手でした。

名将鬼木達の監督としての成績は?

現役時代に川崎の宝と呼ばれ、川崎フロンターレファンから愛されていた鬼木達監督ですが、引退してからはどのような活躍をしていたのでしょうか。

先取まとめ

〇現役引退後すぐに川崎フロンターレのコーチに就任
〇2022年のフォーメーションは4-1-2-3
〇鬼木達監督の年俸は推定5,000万円
〇鬼木監督は17人目の川崎フロンターレ監督

フォーメーションや戦術

名将鬼木達のフォーメーションや戦術について紹介します。

フォーメーションは?

監督就任当時は前任の風間八宏監督がよく使っていた4-2-3-1を踏襲するように使用していました。

2017年~2019年までは4-2-3-1を多用していましたが、2019年に優勝を逃したのち、2020年からは4-1-2-3を多用するようになりました。

また、一時的には4-3-3の戦術も使用していました。

旗手怜央や田中碧、三苫薫のように川崎フロンターレで活躍した選手の多くが、海外に移籍をしてしまっています。

しかし、次々に新しい選手が前任の選手と変わらないクオリティの活躍をするため、フォーメーションを変更せずにいられるのだと思います。

戦術

基本戦術についても前任の風間八宏監督が使用していた狭いスペースでのパスサッカーを中心とした戦術です。

そのため、相手よりもポゼッション(ボール支配率)を高め、ゲームを支配します。

狭いスペースでのパスサッカーの特徴として相手選手のライン間に入り、常に周囲と一定の距離を保ちながら三角形を作り、パスを回します。

そして、ボールを失った際にはすぐにボール保持者を取り囲むように再度攻撃を始める。

グアルディオラがバルセロナを指揮していた時の戦術に近いかと思います。

鬼木達監督の年俸

就任初年度は2,500万円と言われています。

そして就任初年度からJリーグの優勝を果たしたため、2018年には4,000万円、2019年~2022年は5,000万円となりました。

2022年のJリーグ監督内では10番目となっています。

1位は柏レイソルのネルシーニョ監督で年俸は1億5,000万円です。

鬼木達監督は1/3の給料でネルシーニョ監督と同等の働きをしていますから、コスパがいいですね。

ちなみにベスト5は長谷川健太(名古屋グランパス:1億円)を除き全員が外国人監督でした。

川崎フロンターレの歴代監督

最後に川崎フロンターレとなってからの歴代監督について紹介します。

前身である富士通サッカー部時代の監督は省略します。

歴代監督

〇斉藤和夫(1997~)
〇ジョゼ(1997途中)
〇ベット(1998~1999)
〇松本育夫(1999途中)
〇ゼッカ(2000~)
〇今井敏明(2000途中)
〇小林寛(2000途中)
〇堀井美晴(2001)
〇石﨑信弘(2001途中~2003)
〇関塚隆(2004-2008.4)
〇高畠勉(2008.4~)
〇関塚隆(2009~)
〇高畠勉(2010~)
〇相馬直樹(2011~2012.4)
〇望月達也(代行)(2012.4)
〇風間八宏(2012.4-2016)
〇鬼木達(2017~)

鬼木達監督は17人目(代行含む)の監督になります。

2000年には2度監督が変わっています。

2000年は川崎フロンターレが初めてJ1リーグに挑戦した年になります。

この一年で降格してしまうのですが、フロントが相当バタバタしていたのだと思います。

鬼木達監督の評価は21/25点

それでは、デスラジおじさんなりの鬼木達監督の評価をします。

個人的な主観で評価していますので、ぜひ、温かい目で見守ってください。

ポイント

〇戦術:前任監督の戦術を踏襲しながらも鬼木達監督なりの戦術を上乗せしている
〇コミュ力:日本人監督なので言葉の壁はない。選手と直接話すことは多くないがコーチを通じて相談を聞いている
〇采配:活躍した選手の多くが海外に移籍してしまっているが、別の選手でも同じクオリティを出している
〇選手の成長:海外移籍する選手が多い中でユース出身や生え抜きの選手を育てて起用している
〇魅力:まだまだ川崎で活躍できると思うが、別のチームで指揮している姿も見たい

鬼木達監督の妻、子ども、家族は?

鬼木達監督は2003年1月12日に佐藤麗子さんと結婚しています。

2018年のインタビューで中学一年生、小学四年生の子どもがいることを話しています。

そして、川崎フロンターレのホームページには「二男」と記載されているため、2005年に長男、2008年に次男を授かったのではないでしょうか。

鬼木達監督についてもっと知りたい方は本がおすすめ!

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まとめ

今回の記事では鬼木達監督の現役時代や監督としての活躍、年俸、子どもなどについて紹介しました。

まだまだこれからも川崎フロンターレのタイトル獲得のために貢献してくれることを期待しています。

神奈川県にはほかにも湘南ベルマーレ、横浜FマリノスがJ1で活躍しています。

湘南ベルマーレの監督である山口智監督についても知りたい方はこちらの記事もどうぞ。

また、2021シーズンの途中から横浜Fマリノスの監督として指揮を始めたケヴィン・マスカット監督についても紹介していますので、ぜひご覧ください。

特にオーストラリア人監督であるケヴィン・マスカット監督についてはまだまだご存じない方も多いとは思いますので、ぜひこの機会に一読いただきたいです。