2006年にサンフレッチェ広島の監督として日本に来たミシャことミハイロペトロヴィッチ監督。
「ミシャ式」と呼ばれる可変式の戦術を用いて2012年からJリーグを3連覇するサンフレッチェ広島の礎を築きました。
2022年シーズンでJリーグ16年目を迎えますが、実はこれまでの経歴や人間性、戦術などを知らない方も多いのではないでしょうか。
この記事ではミハイロペトロヴィッチ監督の人物史を振り返りながら、戦術や指導歴、人間性を掘り下げてます。
サッカーを深く知りたい方や監督業に興味がある方、ミハイロペトロヴィッチ監督に興味のある方はぜひ最後までご覧ください。
今回の記事ではわかることは以下の内容です。
この記事でわかること
〇現役時代の経歴
〇監督としての成績や戦術、好みの選手
〇ミシャのエピソード
この記事の信憑性は以下の内容です。
この記事の信憑性
〇小学生からサッカーをはじめ社会人リーグでもプレー
〇大学時代は指導者を目指し、地元クラブのコーチや教員免許を取得
〇現在は金融関係の企業に勤めています
ミシャのプロフィール
🎂HAPPY BIRTHDAY🎂
— 北海道コンサドーレ札幌公式 (@consaofficial) October 18, 2022
本日は #ミシャ監督 のお誕生日です!
おめでとうございます🎉
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2022年現在は北海道コンサドーレ札幌で監督として活躍しているミハイロペトロヴィッチ監督について語る前に基本的なプロフィールを確認します。
名前 | ミハイロペトロヴィッチ(Mihailo PETROVIC) |
愛称 | ミシャ |
生年月日 | 1957年10月18日 |
出身地 | セルビア ロズニツァ(旧ユーゴスラビア) |
国籍 | オーストリア |
身長 | 172cm |
1941年のユーゴスラビア侵攻(4月戦争)や1945年に終戦した第二次世界大戦など世界的にも不安定な状況の中で首都ベオグラード近郊の街、ロズニツァで生まれました。
監督としての印象が強いですが、実は元サッカー選手で、1982年FIFAワールドカップ・スペイン大会の予選に旧ユーゴスラビア代表として出場するほどの選手でした。
また、1989年にオーストリア国籍を取得し、家族(奥さんと娘さん)が旧ユーゴスラビアとの国境付近であるオーストラリア第2の都市であるグラーツでの生活を希望していました。
ミシャの現役時代

先取まとめ
〇ユーゴスラビア、オーストリアで8年間プロ生活を送る
〇ミロスラヴ・ブラジェヴィッチ監督からの影響を強く受ける
〇ブランコ・ゼベツ監督からの影響を強く受ける
10歳からサッカーを始めたミシャは、14歳でユーゴスラビア1部リーグの名門レッドスター・ベオグラードユースに加入します。
その後、17歳でレンタル先のユーゴスラビア2部、FKラド・ベオグラードで攻撃的なMFとして、プロデビューを飾ると次第にユーゴスラビア代表にも招集されるようになりました。
その後は、国内リーグのチームを渡り歩き、1993年に8年間プレーをしたオーストリアのSKシュトルム・グラーツで現役引退をします。
2018年にバロンドールを受賞したルカモドリッチも所属していた名門ディナモ・サグレブに所属していたことからもかなりの実力を持った選手であったことが伺えますね。
所属チーム
〇レッドスター・ベオグラード(ユーゴスラビア)
〇ローター・シュテルム・ベオグラード(ユーゴスラビア)
〇オリンピア・ライバッハ(ユーゴスラビア)
〇ディナモ・サグレブ(ユーゴスラビア)
〇SKシュトルム・グラーツ(オーストリア)
19年間プロとしてのキャリアを積んでいく中で、サッカー自体が人生そのものだと感じていたミシャ。
現役を退いても指導者としてサッカーの世界で生きていたと思っていました。
現役時代に影響を受けた監督:ミロスラヴ・ブラジェヴィッチ
1935年にボスニアヘルツェゴビナで生まれたクロアチア人、ミロスラヴ・ブラジェヴィッチ監督。
母国のクロアチア代表監督として、1998年のフランスワールドカップ3位になるほどの名将です。
クロアチアでは「全ての監督の監督」として、愛されており、セルビア出身のミハイロペトロヴィッチ監督も大きな影響を受けていると語っています。
現役時代に影響を受けた監督:ブランコ・ゼベツ

1929年生まれのユーゴスラビア代表の選手だったブランコ・ゼベツ監督。
1965年から指導者としてのキャリアをスタートさせ、1968年にバイエルンミュンヘンの監督に就任すると同チームをブンデスリーガ初優勝に導きほどの名将です。
2022年にはブンデスリーガ10連覇を達成するほどのメガクラブの礎を築いたと言っても過言ではありません。
1984年にミハイロペトロヴィッチ監督が選手として、ディナモ・ザグレブに加入したのと同時にブランコ・ゼベツ監督が同チームの監督に就任したことで出会いました。
当時、ブランコ・ゼベツ監督から「例えば、新聞を10紙読んで目を通すと、結局何が書かれていたのか頭に残るものは薄いが、3紙に絞って読んだら、頭に残るものは濃いものだと」教えられたミハイロペトロヴィッチ監督。
これは、さまざまなトレーニングをするのではなく、3つくらいのトレーニングを繰り返すことで、選手が何を目的するかを明確にしてあげるということです。
チームとして目指すサッカーがあれば判断に迷うことがなくなるため、スムーズかつシステマチックなサッカーをすることが可能になります。
この考え方はミハイロペトロヴィッチ監督へ大きな影響を与えます。
そして、指導者としてのキャリアを積んでいく中で最も重要な人物であるイビチャオシム監督のトレーニング方法と同じ考え方でした。
オシム監督のアシスタントコーチ!?指導歴は?年俸は?

ミシャの指導歴についてまとめるには元日本代表監督でもあるイビチャオシム監督との関係について説明をしなければいけません。
先取まとめ
〇アシスタントコーチとしてオシム監督の下で勉強をする
〇オーストリア、スロベニアを中心に監督として活躍をする
〇推定年俸は8,000万円とJリーグ監督の平均6,000万円よりも多い
イビチャオシム監督のアシスタントコーチ時代
SKシュトルム・グラーツではミシャの愛称で人気だったミシャは引退後に同クラブのコーチ兼サテライト監督としてち同チームに戻ってきます。
この時にトップチームの指揮をしており、コーチとして呼んでくれたのがイビチャオシム監督でした。
オシム監督も元サッカーで引退後の1978年から指導者としてキャリアをスタートさせるとユーゴスラビア代表のアシスタントコーチや監督を歴任。
SKシュトルム・グラーツにミシャをコーチとして呼んだ時にはすでに監督として確かな実績と経験を積んでいました。
そんなオシム監督のもとで指導者としてのキャリアを積むことができたミシャは監督として必要なことを学びます。
そんなオシム監督の教えの中でも特に強く印象に残っていることが、走ることと考えることです。
考えるけど走らない、走るけど考えない、このような選手はオシム監督が求めている選手ではありません。
この考え方はミシャに大きな影響を与え、指導者として同じ考えを持つようになりました。
監督としての指導歴
1993年に現役を引退してから指導者としての道を歩むことになったミシャですが、これまでの指導歴をまとめます。
監督の経歴
〇1993-1996年 SVベラウ 監督(オーストリア)
〇1996-1998年 シュトゥルム・グラーツ(アマチュアチーム) アシスタントコーチ兼アマチュアチーム監督(オーストリア)
〇1998-1999年 NKプリモリェ 監督(スロベニア)
〇1999-2001年 NKドムジャレ 監督(スロベニア)
〇2001-2002年 NKプリモリェ 監督(スロベニア)
〇2003-2006年 シュトゥルム・グラーツ 監督(オーストリア)
〇2006-2011年 サンフレッチェ広島 監督(日本)
〇2012-2017年 浦和レッズ 監督(日本)
〇2018- 北海道コンサドーレ札幌 監督(日本)
番外編:監督としての年俸は?
番外編としてミハイロペトロヴィッチ監督の年俸についても少し触れます。
2022年シーズンから指揮を執っているコンサドーレ札幌はJリーグが開幕してからJ1とJ2を行き来する、いわゆるエレベータークラブもしくはヨーヨークラブと呼ばれるクラブでした。
しかしミハイロペトロヴィッチ監督が来てからカップ戦では準決勝進出や、リーグ戦でも4位と上位入賞をしています。
そんなミハイロペトロヴィッチ監督ですが、年俸は約8,000万円と言われています。
Jリーグ監督の平均値が約6,000万円ほどですので、やはり多くもらっています。
また、コンサドーレ札幌はいわゆる金満クラブではない中での平均金額を超えてリることからもミハイロペトロヴィッチ監督への期待値が高いことが伺えます。
ミシャの戦術や好みの選手について

現役時代やコーチ時代の監督から大きな明鏡を受けたミシャですが、戦術や好みの選手はいるのでしょうか。
オシム監督と同様に方向性のはっきりしている監督であるため、戦術や好みの選手にもこだわりがありそうですね。
先取まとめ
〇ミシャ式と呼ばれる可変式システムを採用
〇推定年俸は8,000万円とJリーグ監督の平均6,000万円よりも多い
ミシャ式の可変システムとは?
ミハイロペトロヴィッチ監督の可変式システムはミシャ式と呼ばれ、攻撃時、守備時において流動的にシステム変更をするものです。
そのため、Jリーグではミハイロペトロヴィッチ監督が指揮した、サンフレッチェ広島、浦和レッズ、コンサドーレ札幌が採用したシステムとなります。
DFを3枚、MFを4枚、FWを3枚の3-4-2-1を基本的な配置としています。
ポイント
〇ミシャ式と呼ばれる可変式システム
〇流動的なシステムのため様々なメリットと同時にデメリットもある
〇特徴的なシステムのため、戦術理解度や技術のある選手を好む

ミシャ式可変システムのメリット
通常のシステムと異なり、ミハイロペトロヴィッチ監督が採用するミシャ式可変システムのメリットについてになります。
メリット
攻撃時・守備時において数的優位を保てる
可変システムのため相手が混乱する
攻撃時・守備時において数的優位を保つことにより、局地的に優位な形をとることで試合全体を通じて有利に進めることが最大のメリットです。
攻撃時にはMFのうちサイドの2枚をFWの位置まで上げさせることで、前線の選手が5枚の4-1-5になります。
Jリーグの多くのクラブはDFを4枚としているケースが多いため、ここで数的優位を作ることが可能です。
また、守備時にはMFのうちサイドの2枚をDFとして、下げさせることで、DFが5枚の5-4-1を形成し、強固なディフェンスをします。


可変システムを使用することで攻撃時には相手は自身のマークする選手が変わることになります。
守備時にはDFの選手が本来はいない場所にMFが守備者として戻ってくることになります。
そのため、相手選手からするといるはずのない相手が突然現れるため、混乱することになります。
ミシャ式可変システムのデメリット
ミシャ式の可変システムを使うことで数的優位や相手を混乱させることができる一方でデメリットも存在します。
デメリット
カウンターを受けやすい
運動量が必要になる
前線にパスを通す技術が必要になる

上記であげたデメリットはすべて、中盤が空洞化することで起きています。
まず、前線で相手にボールを取られた際に、前線の選手がすぐにボールを取り返せれば問題はありませんが、ボールロストの仕方によっては、取り返すことができません。
そのような場合に、中盤は数的不利になるため、守備者4枚対相手チームになってしまいます。
次に、運動量が問題となります。
両サイドの選手は攻撃時にはFWとして前線で攻撃参加をし、守備時にはDFとして守備を行うため、常に上限運動を繰り返します。
最後に選手の技術の問題になります。
守備時にボールを奪った場合素早く、攻撃時のフォーメーションに可変しますが、中盤の選手がいないため、DFの選手から直接FWの選手にパスをすることになります。
その際に中盤に多くいる相手選手の間を通してパスを出すことになるため、技術の高い選手が必要になります。
また、このミシャ式の可変システムはそもそも試合中に何度もフォーメーションが変化することから、インテリジェンスの高い選手でなければ、策士策に溺れてしまいます。
このようなミシャ式の可変システムを戦術として成立させるには、選手選びは重要になります。
では、ミハイロペトロヴィッチ監督はどのような選手を好むのでしょうか。
好みの選手は?
難易度の高い戦術を使うミハイロペトロヴィッチ監督はどのような選手を起用するのかポイントをまとめました。
ポイント
〇運動量が豊富でポジショニングを正確にとれる
〇数的不利になるシーンもあるため球際で激しく戦える
〇複雑なポジショニングを獲るためにインテリジェンスが高い選手
〇基礎技術が高い選手
テンポの速い現代のサッカーでは攻撃だけ、もしくは守備だけの選手では戦えない。
攻撃と守備の両方で活躍でき、運動量があり、インテリジェンスが高く、球際で戦えるようなすべてを備えた選手が必要だと考えているようです。
条件を書きだすと難しいことは要求していないように感じられますが、攻撃も守備もできるユーティリティ性を持ち、試合状況を理解したうえで、90分間ファイトし続けられる選手が多くはいません。
しかし、ミシャ式の可変システムで戦うには必要な要素であることも確かです。
日本代表を輩出!ミシャの教え子たち

サンフレッチェ広島、浦和レッズ、コンサドーレ札幌と2022年で16年目のシーズンを迎えているミハイロペトロヴィッチ監督。
この期間の中で多くの日本代表選手を輩出していることからも、戦術だけではなく、選手の育成にも長けている監督であることが伺えます。
主な教え子まとめ
〇サンフレッチェ広島(2006-2011年)
●青山 敏弘:2013年初選出
●佐藤 寿人:2006年初選出
●髙萩 洋次郎:2013年初選出
〇浦和レッズ(2012-2017年)
●柏木 陽介:2010年に初選出
●槙野 智章:2009年に初選出(サンフレッチェ広島時代)
●原口 元気:2011年に初選出
〇コンサドーレ札幌(2018年-)
●小柏 剛:2021年に初選出(怪我のため辞退)
●鈴木 武蔵:2019年に初選出
●菅 大輝:2019年に初選出
多くの日本代表を輩出しているミハイロペトロヴィッチ監督の人間性を語るうえで、有名なエピソードがあります。
2007年にサンフレッチェ広島はJ2に降格してしまったため、ミハイロペトロヴィッチ監督は責任を取ってになるものと思われていました。
しかし、久保允誉社長(エディオン社長)が会見の場でミハイロペトロヴィッチ監督の継続を宣言しました。
その発言によりサポーターや記者から激しい怒号を浴びせられますが、翌2008年シーズンで見事にJ1復帰を果たします。
この時の発言について久保社長はミハイロペトロヴィッチ監督と選手との信頼関係が出来ており、監督を辞任させれば選手が出て行ってしまうと直感的に感じたと語っています。
ミハイロペトロヴィッチ監督は選手のことを息子のように思っており、選手も同監督のことを父親のように思っていたようです。
このようなことからミハイロペトロヴィッチ監督の豊かな人間性が伺えます。
ミシャの評価は21点/25点
ここまでの話を踏まえたうえで、デスラジおじさんなりの評価をしたいと思います。
温かい目で見守ってください。

ポイント
〇戦術:ミシャ式と呼ばれる可変式のシステムを確立している
〇コミュニケーション:外国人監督であるが日本で監督をして長く、日本人選手のことをより理解している
〇采配:判断が早く素早い采配をすることができる
〇選手の成長:多くの日本代表選手を輩出していることからも選手の成長については定評がある
〇魅力:現役時代の話題性や日本での知名度も高いが家族のことやプライベートなことがまだまだ見えてこない
ミシャについて詳しく知りたい方へ
ここまでミハイロペトロヴィッチ監督についてまとめました。
さらにミハイロペトロヴィッチ監督のことを知りたい方は、こちらの書籍がおすすめです。
おすすめ
〇『北海道コンサドーレ札幌オフィシャルガイドブック2022』北海道新聞社
〇『監督たちの流儀 (サッカー監督にみるマネジメントの妙)』内外出版社
まとめ
今回の記事でミシャの戦術や指導歴などについてまとめました。
今後もJリーグの監督として日本人選手を育てていただけることに期待しましょう。
コンサドーレ札幌の社長に興味のある方はぜひこちらの記事も読んでみてください。
また、コンサドーレ札幌の経営について興味がある方はこちらの記事もご一緒にどうぞ!
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