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【2022年版】コンサドーレ札幌の元会長・現Jリーグチェアマン野々村芳和の現役時代・経営手腕・プライベートについて!

2022年3月15日付で第6代目Jリーグチェアマンに就任した野々村芳和さん。

Jリーグ史上最年少および元Jリーガーとしては初となるチェアマンの就任となり大きな話題を生みました。

そんな野々村芳和さんですが、実はJリーグチェアマンになるまではコンサドーレ札幌の社長や会長を歴任した経営者でもあったことはご存知でしょうか。

今回の記事ではJリーグチェアマンになるまでの若い頃や、Jリーグチェアマンとして野々村芳和さんがやりたいこについてまとめましたので、ぜひ最後までご覧ください。

今回の記事ではわかることは以下の内容です。

この記事でわかること

〇株式会社コンサドーレ札幌の社長になるまでの経歴
〇株式会社コンサドーレ札幌の社長に就任後の活躍
〇Jリーグチェアマンとして今後

この記事の信憑性は以下の内容です。

この記事の信憑性

〇小学生からサッカーをはじめ社会人リーグでもプレー
〇大学時代は指導者を目指し、地元クラブのコーチや教員免許を取得
〇現在は金融関係の企業に勤めています

野々村芳和のプロフィール

まずは野々村芳和さんのプロフィールを確認します。

氏名野々村 芳和(ののむら よしかず)
生年月日1972年5月8日
出身地静岡県清水市(現 静岡市清水区)
身長175cm
体重67kg
現式時代MF
肩書6代目チェアマン
株式会社コンサドーレ札幌元会長

サッカー王国静岡と呼ばれ、名波浩さんや沢登正明さん、伊藤輝越悦さんなど数多くのJリーガーや日本代表を輩出して時代の方ですね。

野々村芳和の若い頃・現役時代

野々村芳和さんが初の元Jリーガーのチェアマンとして話題になっていますので、高校生時代から現役時代までの成績などを振り返りましょう。

先取まとめ

〇静岡県の名門清水東高校で選手権に出場
〇慶応義塾大学在学中にJリーグが発足しJリーガーを目指す
〇関東2部での活躍からジェフ市原へ入団
〇ジェフ市原に入団後、次第に活躍するようになり、レギュラーに定着
〇元日本代表監督岡田武史さんからの誘いを受けてコンサドーレ札幌へ移籍
〇キャプテンとしてコンサドーレ札幌をJ1へ昇格、J1残留に貢献

清水東高校(高校時代)

静岡県のサッカー名門校、清水東高校に進学した野々村芳和さん。

同世代には名波浩さん、大岩剛さん、山田隆裕さん、薩川了洋さん、望月重良さんなどのタレントが多く、後にプロとして活躍する選手が在籍していました。

このタレント集団を要する清水商業は夏のインターハイと高円宮杯で2冠を達成し、特例として選手権の予選が免除される推薦枠となっていました。

そのような幸運も重なり高校2年生、3年生と全国高校サッカー選手権に出場も果たしています。

最後の選手権は惜しくも2回戦で神奈川県代表の旭高校に敗れてしまうものの選手として大きく飛躍した高校生活と言えるでしょう。

2021年に圧倒的な強さを誇り、25年連続で選手権に出場している青森山田でさえも推薦枠が無いことを考えると当時の清水商業は相当なレベルだったことが伺えますね。

また、そのような高校と切磋琢磨していたことが野々村芳和さんの成長につながったと考えられます。

慶応大学(大学時代)

高校卒業後は慶応義塾大学に進学し、サッカー部に所属します。(慶応義塾大学ではソッカー部と表記)

高校卒業時にはまだJリーグはありませんでしたが、大学2年生の1993年にJリーグが発足したことにより、Jリーガーを目指すようになります。

慶応義塾大学では2年連続で関東2部の優勝を果たし、確かな実績を残し、ジェフ市原への入団を決めました。

慶応義塾大学の卒業、加えて清水東高校は偏差値60オーバーの進学校ですし、家庭教師のアルバイトもしていたことから、野々村芳和さんは頭も良かったことが伺えますね。

プロ

引用元:http://spportsnews.livedoor.blog/archives/13225942.html

Jリーガーとして1995年から2001年シーズンまでプロ生活を送った野々村芳和さん。

1995年~1999年ジェフユナイテッド市原
(現:ジェフユナイテッド市原・千葉)
2000年~2001年コンサドーレ札幌

ジェフ市原

慶応義塾大学卒業後、複数のクラブからスカウトを受けた結果、一番条件が良かったジェフユナイテッド市原に入団することとなりました。

1946年に古河電気工業(株)サッカー部から歴史始まり、Jリーグ発足時から加盟していたオリジナルテンと呼ばれる名誉あるクラブです。

Jリーグ発足時には1990年のワールドカップを制した西ドイツ代表のピエール・リトバルスキーを擁して、参加しますが加盟チーム10チーム中で、ファーストステージ5位、セカンドステージ9位と物足りないものでした。

翌年は、高卒ルーキーの城彰二さんが加入したが伸び悩み、12チーム中、ファーストステージ6位、セカンドステージ9位となってしまいました。

そんな中、野々村芳和さんは期待の新人として入団をします。

前半戦はスタメンを勝ち取り出場をしていましたが、次第に出場機会を減らしていきました。

しかしチームは14チーム中、ファーストステージ6位、セカンドステージ7位と順位が徐々に順位を上げていました。

1996年のナビスコカップでスタメンを再び勝ち取るとそこからはスタメンに定着しますが、チームは常に下位に低迷をしてしまいます。

その後、日本代表監督を経て、コンサドーレ札幌の監督をしていたた岡田武史さんからの誘いを受け、2000年にコンサドーレ札幌へ移籍します。

J1でなかなか結果が残せておらず、古河電気工業(株)サッカー部(現:ジェフユナイテッド市原・千葉)の先輩かつ元日本代表監督に誘われたらうれしいかったのではないでしょうか。

コンサドーレ札幌

岡田武史さんの誘いを受けて移籍したコンサドーレ札幌は前年の1999年にJ2リーグ5位と昇格を目指しているチームでした。

すでに28歳とプロとしては中堅からベテランへと変化していく中で、野々村芳和さんには選手としての成長だけでなく、チームとしての勝利、J1への昇格をさせるための貢献が期待されていました。

岡田武史さんもピッチ上では野々村の指示に従うように選手に伝えていたほどです。

そこで持ち前のリーダーシップ(中学・高校・大学とキャプテン)を発揮し、見事に移籍初年度でJ1昇格を果たし翌年の2001年はキャプテンとして20試合以上に出場し、J1残留に貢献します。

現役引退~株式会社コンサドーレ札幌の社長になるまで

コンサドーレ札幌のJ1昇格、残留に貢献した野々村芳和さんですが、その後、どのような形で現役を引退をしたのでしょうか。

また、現役引退後の活躍はどのようなものだったのでしょうか。

先取まとめ

〇クラブ側から契約延長をしない旨の通知を受け引退
〇引退後は解説者としてメディア出演やスカウトをする
〇北海道でマネイジメント会社である株式会社クラッキを設立

現役引退のきっかけ

2001年にキャプテンとして残留に貢献しましたが、コンサドーレ札幌側から来期の契約はしないと言われたようです。

その他のクラブからオファーはありましたが、怪我の影響もあり、ここで現役引退を決意しました。

当時29歳と現役選手としてはまだまだこれから活躍が期待できますが、若い頃の決断の速さが今後の人生を左右したのかもしれませんね。

実はこの後、2009年に小樽FCにて一時的に現役復帰しますが、一応ここで現役引退したと考えています。

現役引退後の活動

29歳という若さで現役引退した野々村芳和さん。

現役引退後は東京でコンサドーレ札幌のアドバイザー(スカウト担当)を務めます。

しかし、サッカーに対する理解の深さや抜群のルックスから解説者やテレビ番組のMC、ラジオへの出演、また母校である慶応義塾大学の非常勤講師をしていた時期もあります。

メディア出演

〇主な出演番組
●Jリーグラボ(2012年~)
●気分上昇ワイド ナルミッツ!!!(金曜日10時台)
●ノノさんの朝ごはん(2022年~)
●Jリーグアフターゲームショー(2007年~2012年)
●GO!GO!サタデー(2017年~2020年)
●ACミラン・チャンネル(2010年~)
●一平・直子のほっとスマイル!(2004年~2009年)
〇CM出演
●白い恋人 (2001年・2014年・2015年)
●エゾデン (2016年)※コンサドーレとEZOCAが一緒につくった電力会社

主な番組をまとめましたが、サッカーの解説だけではなく、JリーグラボやJリーグアフターゲームショーなどではMCとして番組を回しているのも野々村芳和さんの特徴ですね。

また、この時に年間200試合以上の解説を行うことで、上手くいくクラブの特徴や空気感、サポーターと経営者との関係など外から見ることで見えるようになったものが多かったようです。

この経験がこの後のクラブ経営に大きな影響を与えることとなります。

現役引退後の会社経営:株式会社クラッキ

現役引退後にコンサドーレ札幌のアドバイザーや解説者などのメディア出演をしていた中で、2006年に代表取締役として株式会社クラッキを設立します。

株式会社クラッキはサッカースクールの運営や元Jリーガーのその後のマネジメントなど野々村芳和さんの元Jリーガーとしての経験やサッカー解説者としての人脈を活かせる会社です。

その後、株式会社クラッキを大きくし、2010年に株式会社コンサドーレ(当時は株式会社北海道フットボールクラブ)と業務提携をすることとなります。

当時、石屋製菓の名誉会長である石水勲さんが経営していた株式会社石水が設立した、サッポロ・イーワン・スタジアム(フットサルコート)の運営を株式会社クラッキがしていました。

このサッポロ・イーワン・スタジアムでコンサドーレ札幌ジュニアサッカースクールを開設することを業務提携の目的としていました。

また、具体的な提携内容は以下の通りとなります。

業務提携の内容

A.コンサドーレジュニアサッカースクールへのコーチ派遣(主にイーワン会場、他)
B.スポーツ食育&スポーツ教室への協力
C.上記以外のホームタウン活動
D.関東圏でのスカウティング業務
E.その他、プロモーション業務、営業活動、営業補佐など
引用元:https://labola.jp/blog/user/24054/215011

会社を設立して数年でスタジアムの運営をするほどの事業にするのはやはり、北海道での野々村芳和さんの知名度の高さと経営手腕の卓越さが伺えますね。

ちなみにこの石屋製菓は白い恋人を製造している会社であり、野々村芳和さんは白い恋人のCMに出演していることからも石屋製菓の石水勲さんと野々村芳和さんの関係性は深いと考えられます。

株式会社コンサドーレ札幌での功績や経営手腕

株式会社クラッキの代表取締役としてサッカースクール運営や元Jリーガーのマネジメントを事業を起こし、株式会社コンサドーレとの業務提携を果たした野々村芳和さん。

2000年に現役選手として入団した時から始まり、ついに2013年には株式会社コンサドーレの社長となります。

〇白い恋人で有名な石屋製菓の名誉会長からの打診をきっかけに社長就任
〇小野伸二や稲本潤一や東南アジア圏の選手の起用など様々な施策で売上を向上させる

株式会社コンサドーレの社長になったきっかけ

2012年J1に在籍していたコンサドーレ札幌ですが、9月にJ2降格が決まるという最速記録を更新しているチーム状態。

また、経営している株式会社コンサドーレも売上は10億円程度、債務超過が4千万円とJ1で活動するクラブとしては厳しい経営状況でした。

2021年にJ2に降格したFC横浜が2022年に発表した売上が25億円程度であったことと比較してもかなり厳しい経営状態であったことがわかります。

そこで、周りの人から頼まれる形で野々村芳和さんが石水勲さん(石屋製菓の名誉会長、株式会社コンサドーレの取締役)に株式会社コンサドーレの社長をしてほしいとの打診し、承諾を得ました。

しかし、その後、石水勲さんから逆に社長をすることを打診されたことにより、野々村芳和は株式会社コンサドーレの社長となります。

このような経営状況の中、社長を引き受ける野々村芳和の判断力が素晴らしいですね。

また、2022年11月1日付けで代表取締役会長に昇進しています。

株式会社コンサドーレでの実績

10億円の売上のうち、すべてをチームの強化費に充てることは当然できないため、まずは、10億円程度しかない売上を上げることが重要だと考えた野々村芳和さん。

その後、下記のような施策により、2019年には3倍に、コロナの影響がなければ40億円に伸びるであろう目算を立てていました。

主な施策

〇サポーターへのメッセージ
〇小野伸二や稲本潤一などの元日本代表選手の起用
〇東南アジア圏の選手の起用
〇ミシャ監督の起用
〇販売グッズの施策

サポーターへのメッセージ

解説者やサッカー番組のMCなどメディアへの出演をする際に外からサッカークラブを見てきた野々村芳和さんはサポーターの協力が必要不可欠であると感じていました。

相手チームとの差が10億円あったとしてもホームゲームであれば、サポーターの作り出す雰囲気で埋められると訴え続けていました。

また、コンサドーレ札幌を助けてくださいではなく、未来のあるチームで一緒に頑張りましょうと伝えることで、サポーターも巻き込んでいく経営をしていきました。

さらに2015年には「コンサドーレ札幌の未来を考える会」として、試合前に90分間サポーターと今後のビジョンを共有するための会合を開催しています。

その成果もあり、2012年にJ2に降格、2013年に野々村芳和さんが社長になってから徐々に平均観客動員数が増えていきました。

参考サイト:https://soccer-db.net/team/attendance.php?te=1001

小野伸二や稲本潤一などの元日本代表選手の起用

2013年から売上を上げるための施策をしていましたが、チーム状況の改善も図っていました。

その一つとして、小野伸二選手や稲本潤一選手といった知名度のある選手の起用になります。

資金の少ないチームのため限られたメンバーを育成したうえで戦っていくしかありません。

その中で、小野伸二選手や稲本潤一選手は知名度からチームのアイコンや選手としての戦力だけでなく、若手の手本となるベテランとしての活躍が期待されていました。

東南アジア圏の選手の起用

小野伸二選手や稲本潤一選手のような知名度の高い選手の獲得によるチーム状況の施策とともにアジア圏の選手を起用する施策を打ち出していました。

その中でも最も有名な補強がタイのメッシことチャナティップ選手です。

トランスファーマーケット公式サイトによると当時のチャナティップ選手の移籍金は約7,700万円ほどで決して高くはありませんでした。

しかし、コンサドーレ札幌でブレイクすると2022年には約3億円5,000万円で川崎フロンターレに移籍しました。

また、スポンサー目線でいればチャナティップ選手がいることで東南アジア圏の市場に知名度の高い有名人を広告塔として使用できるようになります。

コンサドーレ札幌としてもスポンサーとしても見事に東南アジア圏の選手の発掘と資金の調達に成功したと言えるのではないでしょうか。

ミシャ監督の起用

2017年に浦和レッズを退任していたミハイロペトロヴィッチ監督ことミシャ監督を2018年に獲得しています。

ミシャ監督はミシャ式戦術による攻撃的な魅力あふれるサッカーと若手選手の育成に定評のある監督のため、コンサドーレ札幌の監督として適任だったと言えます。

ミシャ監督についての詳細は別の記事でまとめていますので、ぜひあわせてご覧ください。

販売グッズの施策

2019シーズンより独自のアパレル及びグッズを展開しており、デザインディレクションにはクリエイティブディレクターのパリコレにも携わったことのある相澤陽介さんを招き、新たなグッズの作成もしています。

「サッカーは作品」6代目Jリーグチェアマン野々村芳和

「サッカーは作品」という言葉とともに一躍有名になりました第6代目Jリーグチェアマンの野々村芳和さん。

そんなチェアマンとは?そして野々村芳和さんの思い描くJリーグチェアマンとはどのような人物なのかまとめます。

先取まとめ

〇Jリーグチェアマンとは、公益社団法人日本プロサッカーリーグ(法人)の理事長(最終決定権者)
〇6代目Jリーグチェアマンですが、元Jリーガーは初の出来事
〇コンサドーレ札幌の社長として成功した考えをJリーグクラブ全体へ波及させる

Jリーグチェアマンとは

そもそもJリーグチェアマンとはどのような人物なのでしょうか。

Jリーグチェアマンとは、公益社団法人日本プロサッカーリーグ(略称Jリーグ)という法人の理事長(最終決定権者)のことです

そして、この公益社団法人日本プロサッカーリーグに登録させている会員に対して何か問題が発覚などが発覚した場合に指導や調査をする権限を持っています。

各クラブや選手はこの法人の会員として登録されているため、Jリーグチェアマンは、各クラブに対して大きな影響を与えることが可能となります。

そのため、Jリーガー・クラブの社長としての経験を持つ野々村芳和さんがJリーグチェアマンとして各クラブに対して良い影響を当たるのではないかと期待値が高まっています。

Jリーグチェアマンの詳細は、公益社団法人日本プロサッカーリーグ定款第5章役員および特任理事第 23 条〔理事の職務および権限〕を見てください。

参考:公益社団法人日本プロサッカーリーグについて

この公益社団法人日本プロサッカーリーグは日本サッカー協会の傘下の法人ですので、Jリーグチェアマン=日本サッカーのトップということではありません。

「この法人は、公益財団法人日本サッカー協会の傘下団体として、プロサッカー(この法人の正会員となった団体に所属するサッカーチームが業務として行うサッカーをいう。」とされています。

詳細は、公益社団法人日本プロサッカーリーグ定款第2章目的および事業を参照。

歴代のチェアマン一覧

野々村芳和さんはコンサドーレ札幌の会長を退任後、6代目Jリーグチェアマンに就任しましたが、これまでのJリーグチェアマンはどのような方たちだったのでしょうか。

共通点などを探してみました。

初代:川淵三郎

氏名川淵三郎
生年月日1936年12月3日
在任期間1991年~2002年
最終学歴早稲田大学第二学部商学科
略歴古河電工選手・監督
東京オリンピック出場・日本代表監督
日本サッカー協会会長

現役時代は日本代表として東京オリンピックの出場もしているほどの選手だったようです。

二代目:鈴木昌

引用元:https://mainichi.jp/articles/20210928/ddl/k08/070/106000c
氏名鈴木昌
生年月日1935年12月15日
在任期間2002年~2006年
最終学歴東京大学法学部
略歴鹿島アントラーズ代表取締役社長

初代Jリーグチェアマンとは異なり、高校・大学・実業団とサッカーの経験はありません。

三代目:鬼武健二

引用元:https://www.nikkansports.com/soccer/news/202004300000769.html
氏名鬼武健二
生年月日1939年9月19日
在任期間2006年~2010年
最終学歴早稲田大学政治経済学部
略歴ヤンマーマリナックス社長
セレッソ大阪社長
ヤンマー監督

選手として実業団で活動をした後、1967年にヤンマーの監督として釜本邦茂の指導をしています。

四代目:大東和美

引用元:https://number.bunshun.jp/articles/-/43803
氏名大東和美
生年月日1948年10月22日
在任期間2010年~2014年
最終学歴早稲田大学教育学部
略歴鹿島アントラーズ代表取締役社長
独立行政法人日本スポーツ振興センター理事長
日本サッカー協会副会長

これまでのJリーグチェアマンとは異なり、ラグビー日本代表の経験を持つ異色のチェアマンです。

五代目:村井満

氏名村井満
生年月日1959年8月2日
在任期間2014年~2022年
最終学歴早稲田大学法学部
略歴リクルートエージェント社長
リクルート本社執行役員

高校進学後からサッカーを始めゴールキーパーとして埼玉県予選で活躍していました。

余談:歴代Jリーグチェアマンの共通点

歴代のJリーグチェアマンの中にはサッカーをしたこともない方もいます。

しかし、全員に共通しているのは会社の経営についての深い知識と経験があることになります。

また、偶然かもしれませんが、早稲田大学出身の方が多く、派閥があるのかと疑ってしまいます。

野々村芳和さんは慶応義塾大学出身なので、勝手に心配をしてしました。

会長を退任してJリーグチェアマンとしてやりたいこと

ここまでJリーグチェアマンについてまとめてきましたが、6代目Jリーグチェアマンとして野々村芳和さんがやりたいこととはどのようなことなのでしょうか。

ここには野々村芳和さんが常に口にしているサッカーは作品であることが重要なポイントとなります。

ポイント

〇試合レベルの向上
〇スタジアムの雰囲気作り
〇クラブとサポーターとの関係向上

この3点がJリーグの作品としての価値を高めてくれると考えています。

まだ具体的な方法や施策は公表されていませんが、今後の動向を見守り、随時更新していきます。

野々村芳和のプライベートについて

最後にコンサドーレ札幌の元会長、Jリーグチェアマンとしてではなく、野々村芳和さんのプライベートについてまとめます。

妻である松本里織との馴れ初めは?子どもは?

野々村芳和さんの奥さんは元モデルの松本里織です。

先ほども紹介したように野々村芳和さんは若い頃ルックスが抜群に良く、白い恋人のCMに出演しています。

馴れ初めまでの詳細は出てきませんでしたが、この時にはすでに結婚されていたようです。

また、子どもは二人いるようですが、そちらについての情報もわかり次第更新します。

野々村芳和をもっと知りたい方へ

ここまで、野々村芳和さんについてまとめてきました。

さらに野々村芳和さんについて知りたいという方は、野々村芳和さんが出している本を読むことをおすすめします。

おすすめの書籍

〇『北海道コンサドーレ札幌オフィシャルガイドブック2022』北海道新聞社
〇『職業 サッカークラブ社長』 ベースボール・マガジン社

[書籍のメール便同梱は2冊まで]/北海道コンサドーレ札幌オフィシャルガイドブック2021[本/雑誌] / 北海道新聞社/編 コンサドーレ/監修

まとめ

この記事ではコンサドーレ札幌の会長を退任して、第6代目Jリーグチェアマンに就任された野々村芳和さんについてまとめました。

若い頃の現役生活、社長・経営者としての経験を活かして今後のJリーグを盛り上げていただきたいですね。

最後までご覧いただきありがとうございました。

コンサドーレ札幌に興味のある方はこちらの記事も読んでみてください。

株式会社コンサドーレ札幌以外のクラブの社長が気になる方はこちらの記事もどうぞ!

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